「あめゆり」という名前に込めた想い

「あめゆり」は、雨の日に静かに花を咲かせる「ゼフィランサス(Rain Lily/タマスダレ)」という植物の名前から名づけました。
雨と聞いて、どんな気持ちになるでしょうか。
洗濯物が乾かない、外に出るのが億劫、楽しみにしていたイベントが中止になってしまった…。多くの人にとって、雨は少し“残念なもの”かもしれません。でも、そんな雨があるからこそ、土がうるおい、木々が育ち、作物が実り、そして――雨のあと、そっと咲く花もあるのです。
あめゆりはそんな風に、「一見ネガティブに思えるものの中にも、実は大切な役割や価値がある」そのことを静かに伝えていきたいという想いから生まれました。
たとえば、いつものスーパーで買う野菜や、食卓に並ぶ料理。それがどこから来て、どんな人の手を通って、どう育ったものなのか。ほんの少し目をこらすだけで、自然とのつながりや、地域の人の営み、誰かの手仕事、見えない物語、社会の循環が浮かび上がってくるかもしれません。
雨がただの“がっかりなもの”で終わらないように、日々の生活のなかにも、そんな“新しいまなざし”を届けられたら――。
あめゆりが、「雨の中でも花を咲かせるものがある」その視点を、そっとあなたに手渡す存在になれたらと願っています。
雨音の向こうで、そっと花開く小さな気づき。
あめゆりは、その一輪のような存在でいられたらと思います。
これからの「あめゆり」 ~雨のあとに、芽吹くもの~
私たちが日々の暮らしの中で感じる、小さな違和感。
「これって、本当に体にいいのかな?」「環境にやさしいって、どういうこと?」
そうした素朴な問いを、大切に育てていきたい。
「あめゆり」はこれから、その「気づきの芽」をそっと育てるような企画を、少しずつ広げていきます。
小さな実践から生まれる、”もうひとつの選択肢”
都市に暮らしながらもできる、屋上やベランダ、室内で野菜を育ててみること。地域で育てられた食材、地域でしか生産できない食材を選んでみること。あるいは、捨てられるはずだったものにもう一度命を吹き込むこと。
「買う」以外の選択肢があると気づくだけで、暮らしの中に、ほんの少しの安心や希望が生まれてきます。

当たり前の“裏側”を静かに問いなおす
例えば、「有機栽培=安心安全」というイメージに、少しでも違和感を感じる瞬間があったら。
一度立ち止まり、食の背景にある構造や矛盾に、やさしく目を向けてみる機会です。
誰かの善意や制度だけに頼るのではなく、自分で知ろうとすること、その小さな姿勢こそが、これからの暮らしを支える力になるのかもしれません。
今、私たちが「当たり前」としている食べ物や仕組みの歴史を、深く、静かに、見つめなおしていきたいと思います。

些細なことで揺らぐかもしれない「当たり前」
地球の裏側から届く食べ物が、隣の街で作られている食べ物より安く手に入ること。いつでもお店に商品が揃っていること。
そして、使い終わったものが「ゴミ」として簡単に手放せること。
それが「当たり前」のように感じられる今も、社会情勢や気候変動、限りある資源の制約など、ひとつの出来事で簡単に崩れてしまうかもしれません。
私たちはその不安を煽るのではなく、「じゃあ、身のまわりに目を向けてみよう」「本当に必要なものは何だろう」
そんな風に、やさしく暮らしを見直すきっかけを届けたいと願っています。

“感じる力”を、育てていく
たくさんの情報や選択肢がある今、その正しさや善悪、情報量に振り回されてしまうことがあると思います。
そんなときに頼りになるのは、知識ではなく、自分の中にある「感じる力」なのかもしれません。
あめゆりは、暮らしの中で芽生える小さな違和感や気づきに耳をすませ、その感覚を大切に育てていけるようなヒントを、これからも丁寧に届けていきたいと思っています。
あめゆりが目指す、これからのかたち
自産自消から地産地消の提案、地域資源の見直し、失われゆく食文化へのまなざし──。
あめゆりはこれからも、「食と暮らし」を入り口に、心からの安心や、つながりのある社会を目指して歩んでいきます。
何かを否定するのではなく、「こういう選び方もあるかも」と思えるような、やさしいもうひとつの風景を、そっと描きつづけていけたらと思います。
運営・執筆:
あめゆり編集部(株式会社ともえぎ)
「食べることは、地球と生きること。」そんな視点で日々の暮らしを見つめながら、
読者と一緒に”やさしい問い”を探していけたらと思っています。
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